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北国のためのバラ達
EXPLORER ROSES エクスプローラー・ローズ


Alexander Mackenzie
    
 このシリーズは、寒冷地でバラ作りができるようにと、カナダの農業研究所が1960から1990年にかけて開発した、耐寒、耐病性の高い品種群です。ほとんどがR.rugosaとR.Kordesiiを親あるいは祖先としており、カナダの探検家の名前がつけられていることからエクスプローラー・シリーズと呼ばれています。花色は暖かみのある赤とピンクがほとんどです。
 分類上はハイブリッド・ルゴサ(HRg)、ハイブリッド・コルデシー(HKor)およびモダン・シュラブ(S)に属しています。他のハイブリッドルゴサやコルデシーと同じく、これらのバラは耐寒性ばかりでなく耐病性も高く、一般のバラの敵である黒点病やウドンコ病にかかることはほとんどありません。逆に耐暑性については事例があまりないので分かりませんが、あまり強くないと思われます。
 さて、これらのバラで写真のあるものは「あんたがたルゴサ」を見ていただくとして、ここでは名前の由来となった探検家達について調べてみました。十分な内容とは言えませんが、これもバラを楽しむうちの一要素ととらえていいのではないかと思います。


Alexander Mackenzie(S)
アレキサンダー・マッケンジー
Alexander Mackenzie(1764-1820) スコットランド人。1789年マッケンジー川が北極海に注ぐことを発見。1793年ヨーロッパ人として始めてロッキー山脈をカヌーと徒歩で横断して太平洋に出た。1801年には「探検記」を記している。カナダの英雄として有名。
Captain Samuel Holland(S)
キャプテン・サミュエル・ホランド
Captain Samuel Holland(1728-1801) 1766年、当時セントジョン島と呼ばれていたこの島の測量地図を作った。
Champlain (HKor)
シャンプレイン

     
正しくはSamuel de Champlain(1567?-1635)
1603 初めてカナダに渡り、その後ニューイングランド地域の正確な地図を始めて作った。1608年には現在のケベック市に本格的な植民地を開いた。ニューフランス植民地の祖と呼ばれている。
Charles Albanel (HRg)
シャルル・アルバネル

Charles Albanel (1616-1696) カナダイエズス会のフランス人宣教師であり、探検家。1649 カナダに着任、その後英国のハドソン湾会社が行った、サゲネー川、ミスタシニ湖およびハドソン湾ルーパート川調査にリーダーとして参加。
David Thompson(HRg)
デヴィッド・トンプソン
David Thompson(1770-1857) カナダの大半を測量して地図を作った探検家。彼の踏査した距離は13万キロに及ぶ。ハドソン湾会社の見習社員としてカナダに渡ってきたのは14歳の時であった。1797年にはライバルのノースウェスト会社に移り探検も本格化した。当時の日記をもとに、晩年には「探検記」を記した。
De Montarville(HKor)
ドゥ・モンターヴィラ

この人物に関する資料が見つかりません。
ネット検索ではカナダのケベック州、ロングイユ市にあるSaint-Bruno-de-Montarvilleという地名ばかりが出てきます。無関係ではないような気はしますが・・・。どなたか分かる方がいたら教えてくださいm(_ _)m
Frontenac(S)

 
George Vancouver(S)
ジョージ・バンクーバー

George Vancouver(1758-1798) イングランド生まれ。1792年に、現在のカナダ、バンクーバーの地域を探検した。当初Grandville(グランドビル)と呼ばれていたが、1886年、カナダ太平洋鉄道駅が設置されてから、バンクーバーと改称された。
Henry Hudson(HRg)
ヘンリー・ハドソン
Henry Hudson(1565-1611) イングランド生まれ。彼は北米大陸を抜けてアジアに達する北西航路を発見しようと4度にわたる航海を行ったが、失敗する。最初の航海は1607年で、ジャンメイヤン島を発見。1608年スピッツベルゲンとノバヤゼムリヤ間の中国航路を探索。1609年、北米東岸を探検しハドソン湾からハドソン川を遡りオールバニの辺りまで探索した。1610-11年の航海でハドソン海峡からハドソン湾に達したが、食糧不足から隊員間に不和を生じ、息子や仲間7名と共にボートに強制移乗させられ、漂流、消息不明となった。
Henry Kelsey(HKor)
ヘンリー・ケルシー
Henry Kelsey(1667-1724) イングランド生まれ。1690-92年にかけて、クリー族インディアンと共にカナダ西部大平原地帯を探検した。サスカチュワン川とレッドリバーを超えてヨーロッパ人として始めてこの地に入っている。
J.P. Connell(S)

この人物に関しても情報を見つけられません。
Jens Munk(HRg)
イェンス・ムンク

Jens Munk(1579-1628) デンマーク人?1919年、デンマーク王の命により、北西航路(アジアまでの?)を開くように命ぜられ、コペンハーゲンを出航、ハドソン湾までの航路を開いた人のようでありますが、詳しくは分かりません。
John Cabot(HKor)
ジョン・カボット
John Cabot(1450-1499) イタリア、ジェノバ生まれ。コロンブスとは別に西回りのアジア航路の信じていた。イングランドの支援を受けて、1496年に出帆するが失敗、翌1497年再度挑戦し新大陸を発見。正確な上陸地点は不明だが、さらにノバスコシアからニューファンドランドの海岸線を探索する。
John Davis(HKor)
ジョン・デイビス

new
John Davis(1550-1605) イギリス人。やはり、アジアまでの北西航路を開こうとした探検家のようです。同じくバラの名前となっているマーチン・フロビシャーとほぼ同じコースで大陸までたどり着いたようです。2度の航海を行っています。
John Franklin(S)
ジョン・フランクリン
John Franklin(1786-1847) イギリス人。彼はカナダ東海岸から太平洋に抜ける航路の探索をした人のようです。1819〜22年ハドソン湾の西部の海岸からの北極海洋へ陸上の探険を行ない、北西カナダのコッパーマイン川の東のへ海岸の部分を調査 。1825〜27年、アラスカを目指してマッケンジーの河口から北極海側の新たな地図を作った。
Lambert Closse(S)
ランバート・クロッセ?
Lambert Closse(1618-1662
どうもフランス生まれのカナダ人のようです。したがって、左のカナ読みはおかしいですね。でもフランス読みでどうカナをふったら良いのか分かりません。この人物も略歴等を見つけることができません。
Louis Jolliet(HKor)
ルイ・ジョリエ
Louis Jolliet(1645-1700) カナダ生まれの探検家。1673年、ジャック・マルケットと共にミシシッピ川を発見し、アーカンソー川との合流地点の辺りまで下った。これによりミシシッピ川は太平洋には流れておらずメキシコ湾に注ぐことが分かった。
Marie Victorin(S)
マリー・ヴィクトリン

Marie Victorin 女性だというぐらいのことしかわかりまへん(^^;
Martin Frobisher(HRg)
マーチン・フロビシャー

Martin Frobishe(1535-1594) イギリス人。新世界を目指し、北西航路を選んだ最初の探検家。後にスペイン艦隊との戦いの貢献によりナイトの称号が与えられた。
Nicolas(S)
ニコラ
Thomas Nicolas Baudin(トーマ・ニコラ・ボーダン:1754-1803)はフランスの西海岸沖の島で生まれた。ヨーロッパへ生きている植物および動物を安全に輸送することで有名になった。彼は全くの平民であったが、1800から03年間にオーストラリアの西のまた南の海岸を探検、モーリシャスで没した。
Quadra(HKor)
クアドラ
Juan Francisco de la Bodega y Quadra(1743-1794)正しくはこう書くのだけれど読む気になれない(^^;
彼はアラスカ方面を探検した人のようです。
Royal Edward(S)
ロイヤル・エドワード
Sir Edward Belcher(1799-0877)のことではないかと思われます。エドワード・ベルチャー卿は、イギリスの海軍将官卿で戦争の英雄、探検家、科学者、そして作家たくさんの顔を持つ人物だったようです。彼は、世界中で航海を支配して、そして地理学、船の測量、気候学と他の海軍のまた科学の尽力への重要な貢献をしました。さらに、ベルチャーの北極の遠征は、伝説に名高い北西航路の存在を説明する重要な役割を果たしました。
Simon Fraser(S)
サイモン・フレーザー
Simon Fraser(1776-1862) カナダの探検家及び毛皮の貿易業者。1805年、フレーザー川を発見し、毛皮の交易ルート確率のためその上流まで探索する。
William Baffin(HKor)
ウイリアム・バフィン
William Baffin(1584-1622) イギリスの北極探検家。1616年 北西道の探索のためバフィン島の東岸から南岸域を探検。ロシア北岸と北アメリカ北東部の状態を明らかにし、地図には大きな足跡を残した。
William Booth(S)
ウィリアム・ブース
William Booth(1829-1912) 救助軍の創設者。1865年にイギリスのメソジスト派の牧師、ウィリアム・ブースとその妻キャサリンによって、ロンドン東部の貧しい労働者階級に伝道するために設立された。1891年にウィリアム・ブースは『最暗黒の英国とその出路』を出版し、都市植民・農業植民・海外植民の三段階からなる社会改良計画を発表。10万ポンドの事業資金を公募し、大規模な社会福祉事業に着手した。


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