第四話 ハマナスかハマナシか 


  
    牧野富太郎博士


 この本に『実際園芸』で発表された
 文が転載されている
 講談社 学術文庫




    
   西洋蔬菜栽培法 開拓使蔵版
   (明治6・1873)

   










(注)秘伝花鏡啓蒙
 元は陳扶揺「秘伝花鏡」(1688)という中国の本草書である。これを平賀源内が和訳し「重修秘伝花鏡」(安政2・1773)として出した。同時代を生きた本草学者、小野蘭山がこれを教材として門人に使用したものであるとのこと。
 しかし、実際この書の存在を確かめることができませんでした。小野蘭山の本草網目啓蒙の誤りではないかと調べてみたが、これにハマナスの記述はない。牧野博物館で蔵書を調べる以外になさそうです。
ハマナシ説
 ハマナスを記述するときハマナス(ハマナシ)あるいはハマナシ(ハマナス)というふうにカッコつきで書かれていることが良くあります。かく言う拙サイトでも同様な表記があります。いったいどちらが正式な呼び名なの?と思うのは当然のことであります。
 そこで、ハマナスは北海道の花ですから道庁のサイトで調べたところ、正式な呼び名は「ハマナス」でした。青森市は「はまなす」でカタカナとひらがなの違いくらいです。そこでハマナスを県や市や町の花としているところで「ハマナシ」はあるかどうか調べてみたらなんとゼロでした。つまり全部「ハマナス」または「はまなす」です。ところが図鑑やバラの本を見ていくとかなり様相が違います。今度は明らかにハマナシ(ハマナス)でハマナシが優先的な表記になっています。
 そもそもの「ハマナシ」説を唱えたのは日本人として初めて世界的植物学者となった牧野富太郎博士(1862~1957)です。牧野博士は昭和14年5月発行の『実際園芸』第25巻5号で「ハマナスはもともとハマナシ(浜梨)だったものが東北の人たちが訛って呼んだために誤称されたもの」としたことに始まります。また大槻文彦博士(1847~1928)が「大言海」で「浜茄子」と書き「赤クシテ円ク長ク、ホボ茄子ノ如シ」としたことに対する反論でもあるらしいのです。牧野博士ほどの人が何の根拠もなくずっと慣れ親しんできた「ハマナス」の呼び名をひっくり返すはずはないと誰もが思うわけです。そこで、博士の言い分を見てみると、①熟すと生食できることから形の似た梨になぞらえた。②東北では「シ」を「ス」と発音するがゆえにハマナシがハマナスに転訛した。羽後のあるところでは正しくハマナシと発音していた。そして「浜茄子」には絶対反対で「浜梨子」を確信しているとまで言っています。また牧野博士は小野蘭山が口授した『秘伝花鏡啓蒙』(注)の「玫瑰」を引き合いに出し「・・・朱色ニシテ形茄子ノ如クナリ故ニ浜茄子ト云エリ」に対して「この薔薇の実はすこし扁平な球形で茄子のように縦長い倒卵形はしていない」と言っています。
 上記の2点の理由が納得できる説明かどうかは別にして、江戸時代の茄子は丸型だったとして異論を唱える人も出てきています。現在のところ植物学者やバラの専門家の間ではハマナシの支持者が大半で、図鑑などでは「ハマナシ」が優勢となっているわけです。

我がアカナス説
 さて、ハマナスもハマナシも当然「実」を表現する言葉なわけです。そこで、改めてハマナスの実をしげしげと眺めてみました。ところが私にはどう考えてもハマナスの実は「梨」にも「茄子」にも見えないのです。梨はハマナスと木の形も似ていないし、実は大きさも色も形も違います。似ていることといえばそのまま食べられることくらいです。なぜ梨なのでしょう?茄子は、仮に丸かったとしてもあまり似ているようには思えません。私がハマナスの実を見て何に似ているかを率直にいえば、それは「ミニトマト」です。あるいは大きさは違いますが形や色から言えば「柿」でしょうか。
 ミニトマトや柿からハマナスの呼び名が生まれるはずもないと思っていたところ、トマトは「アカナス」(赤茄子)と呼ばれていたことを知りました。そこでトマトが日本に入ってきた頃の事を調べることにしました。トマトが日本に入って来たのは江戸時代の初期で、丸くて小さく当時は食用ではなく観賞用だったようです。また別な情報ではハマナスの事をハマアカナスと呼んでいた地方があったとも言うではありませんか!にわかに、アカナス由来説が浮上してきました。これは、アカナスとハマナスの言葉がどちらが先に出現したかを時代考証してみる必要があります。
 ここで妙に気を持たせるのも何ですので、あっさりと結果を言ってしまいましょう。「ハマナス」の言葉が最初に現れれたのは、伊藤伊兵衛「花壇地錦抄」(1695)と思われます。それに対してトマトが最初に現れたのは貝原益軒「大和本草」(1709)に出てくる「唐ガキ(さんごじゅなすび)」のようです。それが藩柿(アカナス)とか赤茄子と呼ばれるようになったのは明治になってからということで、脆くもアカナス説は崩れてしまいました。

「ハマナシ」を裏付けるものは?
 私を含め何人かの人がハマナシ説に疑問を抱くのは、その裏づけとなるものが提示されないからだと思います。ハマナスは古くから日本各地の海岸にあるものだと思われます。同一の植物の呼び名が地域によって違っていることはよくあることですが、ハマナスにはほとんどそれがありません。全国各地で同じように訛ったのか? 仮にハマナシだとすれば、東北や北陸、山陰などの郷土博物館にひとつくらいハマナシと書かれた文献が残っていないものでしょうか。
 しかし、「花壇地錦抄」や貝原益軒の「花譜」、「大和本草」でもハマナスです。私が見つけた唯一の「ハマナシ」は何とシーボルトでした。彼の「日本植物誌」(フロラ・ヤポニカ)には「Hamma nasi」と書かれていました。彼はどういう形でこの言葉を聴いたのでしょう。謎は深まるばかりです。

 
         シーボルト「フロラ・ヤポニカ」にあるRosa rugosaの一部分

 この話は最初から結論が出るとは思っていませんでしたが、いざ調べてみるとなかなか面白いものです。これからもっと深く調べるとしたら、ハマナスがそれぞれの地域でどう呼ばれてきたかを丹念に調べることでしょう。
 最後に強力な「ハマナス」支持論者を紹介しましょう。それは仙台市野草園 名誉園長 管野 邦夫氏です。リンク無許可ですがお許しを。
 http://www.stks.city.sendai.jp/sgks/WebPages/wakabayashiku/25/25-12.htm
 http://www.aboc.co.jp/culta/files/culta3.pdf  (PDFファイル)


 それから、調べていて気づいたことですが、江戸より過去へ遡ると、何故かハマナスは忽然とその痕跡を辿ることができなくなるのです。つまりハマナスという言葉が消えてなくなったように見えるのです。このことについてはまた別の機会に語ることにしましょう。
  2006.2.11 UP
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<参考文献>
<書籍>

牧野植物随筆 牧野富太郎 講談社 学術文庫(元は1947、鎌倉書房から刊行された同名の書)
花壇地錦抄・草花絵前集 三之丞伊藤伊兵衛 加藤要 校注 平凡社東洋文庫 1976.4
日本植物方言集成 八坂書房編 八坂書房 2001.2

<HPなど>
『花譜』    貝原益軒 元禄7年(1694) 貝原益軒アーカイブ
        http://www.lib.nakamura-u.ac.jp/kaibara/kafu/index.htm
『大和本草』  貝原益軒 宝永6年(1709) 貝原益軒アーカイブ
        http://www.lib.nakamura-u.ac.jp/kaibara/yama/index.htm
日本植物誌 Flora Japonica 京都大学所蔵資料でみる博物の時代
              http://ddb.libnet.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/b01/index.html
その他、茄子や梨に関する多数の法人、個人サイトを参考としました。

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