第六話 (マイカイ)とハマナスの謎を探る 


 ハマナス Rosa rugosa Thunb.


 マイカイ Rosa maikwai Hara


 「大和本草諸品図」の玫瑰花
葉はともかく花はバラとは思えない。


 「花彙」の徘徊花の図
絵は非常に洗練されていてハマナスの特徴をよく捉えている。



錦窠植物図説の中のハマナス<注3>
これは本物のマイカイ?


上の図に書き添えられた文です。


中国高等植物図鑑
玫瑰
 Rosa rugosa Thunb


<注1>:「花譜」が発刊された年については1694年と1698年の二説があるようです。実を言うと「花壇地錦抄」(1695)の前か後かは重要な意味合いを持ちます。

<注2>
:「中国植物志」は数百人の植物専門家が40年もの歳月をかけて編纂した植物辞典で、去る2005年3月に完成出版されました。全126冊3万種の中国植物が収録されています。

<注3>:これと同じ図が「新渡花葉図譜」渡辺又日菴(ゆうじつあん) にも見られます。錦窠植物図説はスクラップのようなものなので、新渡花葉図譜がこの図の元かもしれません。しかし、どちらも発行年が定かでないのでなんともいえません。
マイカイとハマナスは違うバラである
 ハマナスの呼び方は第四話で提示したハマナス、浜茄子、ハマナシ、浜梨などがありました。ハマナスには方言や外国での呼び名を含めると実にたくさんの呼び名があります。その中で日本で古くから呼ばれてきた名前にマイカイ(があります。私がハマナスに興味を持ち始めた頃、図鑑や本を見るにつけとハマナスは違うバラである」という記述を何度も目にしました。なるほど、出ている写真を見ればハマナスは一重咲きでマイカイは八重咲きです。マイカイはハマナスと同様の大きな実をつけるところがハマナスと似ていますが、ハマナスより刺少なく葉はやや細身で薄く先がとがっています。並べてみればその違いは一目瞭然です。しかし、これだけ違うものが何故長い間ハマナスの別名として存在していたのでしょう。調べるうちこのふたつのバラの関係には多くの謎を含んでいることがわかってきました。
 第五話の俳句、短歌のところをご覧いただくとわかるように、かなり最近まで瑰(マイカイ)はハマナスとして使われていたことがわかります。現在でもネット検索するとハマナスの説明に「玫瑰」の漢字が当てられているのをよく見かけます。

瑰とハマナスはいつ結びついたのか
 瑰」は中国から来た文字で、中国ではメイグイ(mei-gui)と発音します。日本では「マイカイ」あるいは「バイカイ」と呼ばれることもあります。その文字がいつ日本に入り、「はまなす」といつどんな形で結びついたのでしょう?
 日本での「瑰」出現は意外に古く、江戸初期、貝原益軒「花譜」(1698)<注1>瑰花」に「はまなす」のふり仮名をつけたのが最初のようです。この中には「資暇録、園史、及李時珍の食物本草に是をのせたり」とあります。つまり中国の書物に書いてあるということです。この頃は陳扶揺の「秘伝花鏡」が日本に入った頃であり「花譜」がその影響を受けたことは間違いのないところです。しかし、益軒は何故八重咲きである中国の「玫瑰花」に日本の「はまなす」のふりがながふったのでしょう。
 貝原益軒は1709年に「大和本草」という日本博物学の基礎となる大著を出しますが、これにも花譜と同様の記述があります。さらにその中に「筑紫ニテ花タチバナト云単葉アリ重葉アリ・・・」とあります。なんと筑紫に花タチバナ(はまなす)があったとあります。単葉、重葉とは一重、八重のことでしょうか?現在、日本でのハマナスの南限は日本海側で島根県あたりです。仮に当時は筑紫にも自生があったということにしましょう。しかし、八重はどうでしょう?大和本草にはなんとも稚拙な図(左図)もついていていました。しかしその絵からその花はかろうじて八重咲きであることがわかります。

他の本草書では
 江戸時代の本草書では瑰花が併記されない単独の「ハマナス」を見つけることの方が難しいようです。花譜とほぼ同時期に出された「花壇地錦抄」(1995)には単独で「はまなす」の説明があります。その「荊棘のるい」という中に「はまなす 夏末 花こいむらさき、一重、大りん」とあります。これはまさに日本のハマナスを指しているように思えます。しかし、その後の地錦抄には玫瑰花の文字があります。そこで江戸時代のハマナスが記載されている主な書物を並べて、どう書かれているかを比べてみました。

書名 著者 ハマナスの名称
花壇地錦抄(1695・元禄8)
花譜(1698・元禄11)<注1> 
大和本草(1709・宝永6)  
和漢三才図会(1713・正徳3)
広益地錦抄(1719・享保4)
地錦抄付録(1733・享保18)
花彙(1759・宝暦9)  
錦窠植物図説(江戸末期と思われる)
きんか
伊藤伊兵衛(三之丞)
貝原益軒
貝原益軒
寺島良安
伊藤伊兵衛(政武)
伊藤伊兵衛(政武)

島田充房・小野蘭山
伊藤圭介
はまなす
玫瑰花・はまなす
玫瑰花
・ハマナス
玫瑰花・ハマナス・波末奈須
玫瑰花・ハマナス
玫瑰花・ハマナス
徘徊花・ハマナス
玫瑰花・ハマナス・徘徊花など

 これを見る限り「瑰花」と書いて「はまなす」と呼ぶことはしっかり定着していたようです。瑰花や徘徊花は中国の王象晋「群芳譜」(1630)や陳扶揺の「秘伝花鏡」(1688)にも登場し、日本に伝えられました。江戸時代初期に貝原益軒や小野蘭山などによって中国の本草書にある植物と日本の植物をつき合わせる作業を行いました。これによって多くの知識を手に入れることに成功し、江戸本草学の基礎が築かれました。このつき合わせによって瑰花にハマナスの和名があてられたことは十分に考えられることです。
 さて、瑰花にハマナスの和名があてられた理由ですが、まず大和本草にある「単葉アリ重葉アリ」がポイントのような気がします。つまり、益軒は書物の記述から日本のハマナスを玫瑰の一重の種と考えたのではないでしょうか。しかし、記述内容から言って益軒が実際に玫瑰を見ていたかどうかには疑問が残ります。

江戸の瑰、昭和のマイカイ
 益軒が言う瑰花は明らかに中国の八重咲きにハマナスの言葉をあてはめたものですが、それ以降の本草書では一重のハマナスの図に中国の本草書の引用という奇妙なものが多いことに気づきます。そして、本来八重咲きである花の実態は次第に見えなくなっていきます。中国から渡来したとされる本物の「瑰花」はいったいどこへ行ってしまったのでしょう。あるいは渡来はなかったのでしょうか?地錦抄付録(1733)によると正保年中以降(1644~)に渡って来た植物に玫瑰(ハマナス)が含まれています。しかしその後玫瑰は増殖された形跡もなく江戸末期にはその姿を見ることはできなかったようです。ただ、伊藤圭介(1803~1901).による錦窠(きんか)植物図説の中で、数枚の一重ハマナス図に混じって八重咲きのハマナス図<注3>が一枚あります。これは本物の玫瑰かどうか興味のわくところです。しかし、隣に書き添えられている文は東蝦夷物産誌でのアイヌ語(マウチクニ)やいくつかの別名が書き添えられていますがよく読み取れません。

 玫瑰と書いてハマナスと呼ぶことは昭和になってもしっかり続いていました。それが牧野富三郎博士によって訂正(日本植物図鑑・1940・昭和15)されるまで、他の植物学者も玫瑰=ハマナスとしていたようです。しかし、訂正にもかかわらず文化的に定着していたせいか、文学や一般的なところでは従来どおりの言い方は長く続いてきました。
 マイカイにRosa maikwai Haraの学名を与えたのは東京大学の原寛教授です。その原教授が「植物研究雑誌」(1957)の論文で「マイカイはハマナスに近いが、その生品は近年まで日本へ渡来しなかったようである」と書いています。また原教授は同じ文の中で、田中芳男氏が明治33年(1900)の「神苑会農業館列品目録」で「玫瑰花」の製品を見てわがハマナスに非ずとしたこと、Bakerがマイカイにハマナスの変種ではなく独立種としてRosa pubescens Bakerの名を与えたことを書いています。
 現在日本にあるマイカイで最も古いものは、昭和期に宮澤文吾氏によって中国から取り寄せられたものだそうです。それと同じ株を鈴木省三氏が譲り受けて栽培していたものが、現在東京や千葉県のいくつかのバラ園で栽培されています。

中国瑰事情
 本草学を中国から学んだ日本ですが、文字が共通するために逆にいろんな混乱を生んできたことも事実です。つまり同じ漢字で意味はまったく違う、微妙に違うものがよくあります。代表的なものに椿(ツバキ)と山茶花(サザンカ)があります。中国ではツバキを山茶花、サザンカを茶梅と書きます。中国で椿といえば香椿(チャンチン:センダン科の落葉高木)を指します。さて、薔薇に関してはどうでしょう。中国で玫瑰はバラを意味しない、なんてアホことは言いませんが、日本とは大分事情が違っているのは事実のようです。
 中国で「バラ」を意味する言葉が三つあります。「薔薇」(チアンウエイ)「月季」(ユエチ)そして玫瑰」(メイグイ)です。
「薔薇」は主にノイバラやランブラー系のバラを意味します。
「月季」は日本で言う長春や庚申バラを意味し、広くは四季咲き系のバラ全体を指します。
「玫瑰」は本来はマイカイのことですが、一般的には日本で言う「薔薇」の意味で使われているようです。中国人も厳密に上記三つの使い分けをせずに、バラなら「玫瑰」と言ってしまうのが現実のようです。
 それではハマナスのことはどう言っているのでしょう。「中国植物志」<注2>によると「33.玫瑰(群芳譜) Rosa rugosa Thunb.」 となっています。つまり「群芳譜」で言う玫瑰はRosa rugosa Thunb.を意味するとのことのようです。内容については樹形や葉の表現はハマナスと一致しているようですが、花の記載では「花弁倒卵形、重弁至半重弁、芳香、紫紅色至白色」とあります。問題は「重弁至半重弁」です。これが「八重咲き半八重咲き」という意味なら明らかに日本のハマナス(Rosa rugosa Thunb.)とは違います。中国植物志には図も写真もないのでなんともいえません。原産国には我国(中国)、日本、朝鮮の名があります。そこで中国高等植物図鑑(1972)の玫瑰 Rosa rugosa Thunb.の図を見ると、そこにはハマナスではないまさしく八重咲きのバラが載っています。いったいどういうことなのでしょう。
 これら中国における玫瑰とRosa rugosaに関する謎は深まるばかりです。ふと、牧野博士が「牧野植物随筆」(1947・昭和22)の中で書いていた一文を思い出してしまいました。この文は昭和14年5月発行(1939)の「実際園芸」から本書へ転載されたものです。
 ・・・さて従来の学者連がこぞってハマナスを玫瑰(バイカイ)だとしているの非なることは別題のもとに書いた通りであって、ハマナスは決して玫瑰ではない。そしてハマナスにはあえてなんの漢字も有っていない。すなわちそれはこの薔薇が元来支那に産しないからである(たとい栽培品はあるとしても、それは元来の土産ではない)。つまるところハマナスは日本(朝鮮の南部を含めて)の特産薔薇にほかならないものである。 ・・・
 (実を言うと原色牧野日本植物大図鑑では分布地にしっかり中国が入っていました^^;)

「中国植物志」からです。
有粉紅単弁・・・R.rugosa Thunb. f. rosea Rehd.
白花単弁・・・・・R.rugosa Thunb. f. alba (Ware) Rehd.
紫花重弁・・・・・R.rugosa Thunb. f. plena (Regel) Byhouwer
白花重弁・・・・・R.rugosa Thunb. f. albo-plena Rehd.
ということだそうです。
 玫瑰に対して R.rugosa Thunb. f. plena としているのを見ることがありますが、これは間違いだと思います。<f.plena>であるというなら、花びらが八重化していても葉や幹など樹体はハマナスと同じでなくてはなりません。しかし玫瑰は樹体そのものがハマナスと違います。おそらくはハマナスの交雑種から八重咲きのものを選抜した園芸種であろうというのが、日本の植物学者の大方の見方のようです。
  2006年3月26日 UP
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<参考文献>
<書籍>
大場秀章著作選〈1〉植物学史・植物文化史  大場秀章 八坂書房 2006.2
江戸の植物学 大場秀章 東京大学出版会 1997.10
バラの誕生 大場秀章 中公新書 1997.11
ばら花譜 二口善雄、鈴木省三、籾山泰一 平凡社 1999.10(新装改訂版)
ばら花図譜(国際版) 鈴木省三 小学館 1996.4
オールドローズ花図譜 野村和子 小学館 2004.4
花壇地錦抄・増補地錦抄 伊藤伊兵衛三之丞 生活の古典双書
花壇地錦抄・増補地錦抄・広益地錦抄・地錦抄附録 八坂書房 1983
花壇地錦抄・草花絵前集 三之丞伊藤伊兵衛 加藤要 校注 平凡社東洋文庫 1976.4
和漢三才図会17 寺島良安 島田勇雄・竹島淳夫・樋口元 訳注 平凡社東洋文庫 1991.1
中国植物志 第37巻401~402P 

〈雑誌・機関紙等〉
古書に見るばらの種類と盆養 千葉大学園芸学部教授 岩佐亮二 京成バラ会会報 薔薇の海 15号
「中国植物志」を読む 千葉県立中央博物館研究員 御巫由紀 京成バラ会会報 薔薇の海 40号

〈ホームページなど〉
『花譜』    貝原益軒 元禄7年(1694) 貝原益軒アーカイブ
        http://www.lib.nakamura-u.ac.jp/kaibara/kafu/index.htm
『大和本草』  貝原益軒 宝永6年(1709) 貝原益軒アーカイブ
        http://www.lib.nakamura-u.ac.jp/kaibara/yama/index.htm
『錦窠植物図説』伊藤圭介 伊藤圭介文庫
        http://www.nul.nagoya-u.ac.jp/db/keisuke/
『泰西本草名疏』伊藤圭介 文政12 (1829) 描かれた動物・植物 -江戸時代の博物誌-
        http://www.ndl.go.jp/nature/thum/009.html
『新渡花葉図譜』渡辺又日菴 大正3 (1914) 描かれた動物・植物 -江戸時代の博物誌-
        http://www.ndl.go.jp/nature/thum/087.html
(参考資料に関してはのんのんさん、plumさん、はるまきさんからご協力をいただきました)

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