第七話 ハマナスかハマナシか ─ その後 ─


 
 「浜茄子異議」掲載の「民族と植物」
 写真は昭和23年山岡書店刊行、
 「民族と植物」の文庫版(1999年)
 講談社 学術文庫


 
 シーボルト著「日本の植物」八坂書房
 大場秀章監修・解説/瀬蔵正克訳



 
 松前方言考(1848・嘉永1)蛯子吉蔵
 幕末箱館の町人学者蛯子吉蔵(淡斎如水)が著わした松前言葉集。


 
 蝦夷物産誌 (1854・嘉永7頃) 山県世衡
 蝦夷地の動植物(上巻は草部49種、下巻は鳥獣虫之部29種)からなる。筆者は嘉永7年堀、村垣の蝦夷地巡見に随行した長州藩士。


(注1)秘伝花鏡
:元は中国の陳扶揺による本草書である。これを平賀鳩渓(源内)が和訳し出版した。
(注2)和漢三才図会
(1713)寺島良安
日本最初の百科事典と言われる。

 第四話ではハマナスはハマナシが訛ったものいう牧野富太郎博士の説を中心に、ハマナシ説の根拠を探ってみました。その後いろいろな情報が寄せられて、新たな事実がわかってきました。そのいくつかは核心に関わることであり、第四話は訂正が必要となりましたがあえてそれを書き直すのではなく、続編という形で経過がわかるようにしました。

ハマナシ説を最初に唱えたのは牧野博士ではなかった
 第四話では牧野博士が最初に「ハマナシ説」を唱えたように書きましたが、どうも違っていたようです。実際「ハマナシ説」を最初に唱えたのは武田久吉博士(1883~1972)のようです。彼が最初に「ハマナシ」を唱えたのは大正8年の『植物学雑誌』第387号です。牧野氏の昭和14年の『実際園芸』第25巻5号から見るとずいぶん遡ります。内容は牧野氏の文とさほど変わらないことから、牧野氏の文は武田氏を参考したものと思われます。
 さて、武田氏の文でハマナスに関する部分は1ページだけで、内容は①増補地錦抄の荊棘の類にはまなすとあること(花壇地錦抄の間違いでは?)、平賀鳩渓が校正出版した秘伝花鏡(注1)玫瑰にはまなすが当てられていること。②東北地方、日本海沿岸、北海道の海岸に自生するもので、和名はその方言であり「海岸ニ生ジテ果実茄子ニ似タレバ濱茄子ノ意味ニテ呼ビタルモノカ、或ハ果実梨果ニ似タレバカク言ヘルヲ、東北弁ニテしトすを転倒セル為ニ、訛テはまなすト称スルカ未ダ確説ナキガ如シ」とそれほど強気ではありません。③そこで南部洋氏にはまなすの方言について聞きますが「ハマナスの語源は濱梨ならんと想像致し居り候も小生の郷里には自生品なき故確信でき申さず候・・・・・」とつれない返事。④結局、「はまなすニ果実熟スレバ其ノ花床は黄赤色ヲ呈シテ味甘ク、小児等之ヲ食フコトアリ、コレ亦はまなしノ名ヲ生ゼジ一因ナル可キカ」として強引に「はまなし」に結び付けようとしているようにも見えます。

「浜茄子異議」
 その後武田氏は、1933(S3)年『ドルメン』という雑誌に「浜茄子異議」という文章を書いています。それは後に『民族と植物』(1948・S23)に補筆収録されました。読んでみると前回とはずいぶん雰囲気が違います。世の植物学者どもはいまだに「ハマナス」を正名として使っていると、自信たっぷりの口調になっています。牧野氏の支持を得たことがその要因かもしれません。内容は大正8年とほとんど変わっていません。文語体から口語体になったこと、南部氏の言葉を削除したこと、その代わりシーボルトの『フロラ・ヤポニカ』から「・・・和名のハマナシは浜梨子の意味で、果実が長楕円形または梨形に変化する・・・」を引用しています。そして、『草木育種』(1818・文化15:岩崎常正)に「陸奥の海辺に多し」とあることから「はまなす」の方言とともに奥州から江戸に持ち込まれたとしています。しかし、武田氏の文章は前回の文から14年も経過していながら内容的に全く前進しているとは思えません。つまり仮説のウラを取っていないという印象です。
 シーボルトは『日本の植物』の中でも「このバラは本州北部に自生し、たいていは浜辺の砂地に生える。そのため、実が大きくなることも相まってハマナシ(浜辺の梨)と呼ばれている。」と書いています。私としてはシーボルトが何故ハマナシ(浜梨)を知ったかが不思議でなりません。シーボルトが日本に来た当時の日本の本草書などでは「ハマナス」の言葉はあっても「ハマナシ」を見つけることはできません。どこでこの言葉を聞いたのでしょう。シーボルトに最も近い弟子の伊藤圭介でさえハマナスと書いているのですから。

ハマナシのルーツは松前?
 私も自分なりに「はまなし」が出ている資料を探していました。つまり、訛りで「はまなす」に聞こえると言うのなら、文字にしたときは「はまなし」となっていなくてはなりません。それを探し出そうと思ったわけです。『日本植物方言集成』によると「ハマナシ」の方言は、きんちゃくぼたん 長野(佐久)、はいだま 岩手(上閉伊)、はなたちばな 筑紫、ばら 岩手(盛岡市)秋田(山本)などとなっていて、もともとハマナスが全国標準語でなかったことがわかります。しかし、この本では「ハマナシ」自体を方言としていないので「ハマナシ」を使っていた地域を見つけることはできません。
 そんなとき、『松前方言考』(1848・嘉永1)と『蝦夷物産誌』 (1854・嘉永7頃)の存在があることを知りました。どちらも幕末の書で蝦夷の方言と物産を調べたものです。ここでついに待望の「はまなし」を見つけましたつけました。
 まず、『松前方言考』には最初に「はまな志 」とあり「はまなしは濱茄子なるべし梨子の形は似ず茄子の形にちかし」とあります。この頃すでにはまなすは標準語化されていたので、このような見解になったかと思われます。また、「五六月頃よりむすび熟せば深赤となる小児等是をへて喰ふ味ひあまし」とあるのは武田氏や牧野氏の発言と一致していて奇妙です。よほど当時の子供たちはハマナスの実を食べていたのでしょうか。あるいは武田氏はこの『松前方言考』を読んでいた?しかし、それならハマナシの語源は北海道にありと言っていたことでしょう。
 次に『蝦夷物産誌』では「松前方言にてハマナシをいふ」とはっきりあります。そして「和漢三才図会」(注2)いふ濱茄子の誤あるべし」「果実の形梨子に似たれば濱梨の意なるか」とあります。やはり「はまなす」が正しくてハマナシが方言という扱いです。ただ、「松前方言考」と違い果実が梨に似ていることを認めているところが見解の相違というものでしょうか。
 しかし、地理的な観点からもこれが武田氏や牧野氏のいうハマナシのルーツだとは考えにくいところです。何も蝦夷からハマナスを運ぶ必要はないのですから。シーボルトが和名をハマナシと呼び自生地を本州北部と言っている以上、もし東北に「ハマナシ方言」を見つけれはハマナシ論は真実味を帯びてくることでしょう。

海棠花がハマナシ
 ここからは余談です。番外編でも紹介しましたが、わが掲示板で韓国では「はまなす」のことを海棠花(ヘダンファ)ということを教えてもらいました。そのときはへぇ~、おそらく中国から言葉が入ったときに混乱があったに違いないと思っていました。名前が別な植物と入れ替わってしまったケースは日本でも珍しいことではありません。中国で海棠花は日本で言うハナカイドウ(花海棠)のことです。
 ところが『日本植物方言集成』の索引を調べていて、日本でも「カイドウ」を「ハマナシ」
と呼ぶ地方があることを見つけました。それは山形県の東田川というところです。現在もそう言っているかどうかはわかりません。確かに花海棠にも小さなリンゴ様の実がつきます。案外、ハマナシの語源はこんなところからだったりするかもと思いつつ、もし本当にそうだったらと思うと何かおかしさがこみ上げてくるのでした。また謎がひとつ増えたような気もしますが、この話題に関してははこれで終わりにしたいと思います。

 私としては結果が「はまなす」でも「はまなし」でもかまわないのです。私が今後もこのバラを「ハマナス」と呼ぶことは変わらないと思います。それよりもこの話題にたくさんの人が反応してくれて、たくさんの情報が寄せられ、わいわいやりあった事のほうが有意義だったように思いました。また、たくさんの疑問が生じてそれを調べる事の楽しさを十分味わせてもらいました。みなさんには本当にたくさんのことを教えてもらいました。特にsecond roseさんには今回のテーマとなるほとんど、武田久吉氏がハマナシ説の最初であること、松前方言考、蝦夷物産誌のことを教えてもらいました。のんのんさんにはまたもや資料提供をしていただきました。感謝申し上げますm(_ _)m

「ルゴサな話」はまだまだ続きます。
  2006.6.15 UP
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<参考文献>
<書籍>

民族と植物 武田久吉 講談社 学術文庫
日本の植物 シーボルト 八坂書房
 大場秀章監修・解説/瀬蔵正克訳 
日本植物方言集成 八坂書房編 八坂書房 2001.2
和漢三才図会15 寺島良安 平凡社 東洋文庫516

<HPなど>
『松前方言考』    
蛯子吉蔵 (1848・嘉永1)
        http://ambitious.lib.hokudai.ac.jp/hoppodb/kyuki/doc/0A001260000003.html
『蝦夷物産誌』    
山県世衡 嘉永7年頃 (1854頃) 北海道大学附属図書館
        http://ambitious.lib.hokudai.ac.jp/hoppodb/kyuki/doc/0A021490000001.html

<雑誌など>

『実際園芸』第25巻5号

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