「ひとりごと」改め
野に草


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 1.バラの起源 '03.02.27 11.野に草 '04.10.13
 2.薔薇ノ木ニ薔薇ノ花咲ク '03.02.28 12.青のイメージ '05.03.21
 3.植物はモーツァルトがお好き       '03.04.07 13.青い花の不思議 '05.03.24
 4.バラの冬越しと耐寒性 '03.05.18
 5.野草に触った                '03.08.25
 6.詩を書いていた              '03.10.16
 7.バラ園に思う '03.10.17
 8.薔薇の名前 '04.02.01
 9.デジカメ選び @一眼か一眼モドキか '04.05.04
10.デジカメ選び A画質の決め手は何? '04.05.06


 
☆1.バラの起源☆                                  ’03.2.27

 このホームページを作るにあたって、初めて「バラ」のことを考えるはめになってしまいました。だからといって、私が改めてバラの歴史を書く必要は全然ありませんが、調べて分かったことはバラの起源はどうもヒマラヤ、カラコルム山系の周辺らしいということでした。いつ頃かというとそれは定かではないらしく、化石などから3000万年前頃には北半球に広く分布していたようです。同時に知ったことはかなり多くの植物がこの地域を起源としていることでした。数多くあるバラ科の植物もおそらくはこの辺を起源とするのでしょう。
 ヒマラヤと知ってとっさに思い浮かべたのは、NHKで放送された山岳写真家のドキュメンタリーで、雪のヒマラヤ山岳地帯の谷間に咲くおびただしい数の花々の群の光景でした。その写真家が月明かりで撮った花畑の幻想的な写真も忘れることができません。バラが発生した頃のその地域の様子は知るべくもありませんが、その当時のバラをこの目で見てみたいと思うのは私だけではないと思います。
 紀元前からバラは主にヨーロッパで広まって行きましたが、1800年以降に飛躍的な発展を見せます。人工交配が行われ始めたのもこの頃のようで、この1800年を境にそれ以前をオールドローズ、以降をモダンローズと言うのが習わしのようですが、最近は最初のハーブリッド・ティー・ローズ、 ラ・フランス(La France)が作られた1867年で分ける向きもあります。
 それら交配種のルーツとなった野バラ(原種)は8種類と言われています。中国・小アジア・ペルシャ・ヨーロッパ、そして日本で野生していたバラで、そのうち2種類は日本のノイバラ(R.multiflora)とテリハノイバラ(R.wichuraiana)です。
 現在、20000品種ともいわれるバラのほとんどは人の手によって作られたものです。原種から比べると大きく、また整った花型となり花色も多彩です。まさに人を楽しませるためだけに生まれてきたといえます。もう自然に戻してやることは出来ません。多くの園芸植物もそうですが、人が手をかけなければ生きてゆけない、野菜や家畜を思い出してしまいました。


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☆2.薔薇ノ木ニ薔薇ノ花咲ク☆                       '03.2.28
 薔薇


     薔薇ノ木ニ
     薔薇ノ花咲ク。

     ナニゴトノ不思議ナケレド。

 北原白秋の「白金之独楽」(ハクキンノコマ)と言う詩集の中の詩です。
 中学生の頃から詩に興味を持っていて、たまたま読んだ詩集の中にこれを見つけました。中学生の私はこの詩がずうっと気になっていて、何かにつけ思い出したりしてていました。何が気になっていたかと言えば「ナニゴトノ不思議ナケレド」 に言葉を続けるとしたら、何と言いたいのか。そしてなぜ薔薇なのか、ということでした。もし、3行目が「ナニゴトノ不思議ナシ」だったら詩になりません。「不思議ナケレド」と言って含みを残したことで詩が成立しています。要は不思議だと言っているのです。中学生でもそれくらいは分かりました。でも、ただそれだけなのか?
 何年かして、別の本で白秋を読む事があり同じ詩を見つけました。それを見て私は驚愕し、歓喜し、そして激怒しました。この詩には続きがあったのです。この詩のタイトルは「薔薇二曲」、上の詩は「一」で「二」があったのです。

 「二」

     薔薇ノ花。
     ナニゴトノ不思議ナケレド。

     照リ極マレバ木ヨリコボルル。
     光リコボルル。

 私の持っていた「日本詩人全集7 北原白秋」はあわせて読むべき後半をカットして掲載したのです。喜びの後に怒りがこみ上げてきたのは当然のことでした。
 解釈を続けると「照リ極マレバ」は薔薇が咲き誇っている様子であり、「光コボルル」は見事な花を咲かせた薔薇への讃美です。だがまてよ、なぜ「木ヨリコボルル」なんだ?花とか葉とかではないのか?私はまた謎を背負ってしまいました。その謎はごく最近まで私の中にありました。
 その後、はからずも薔薇を作るようになって4年、今ならわかります。白秋は冬の薔薇の姿を見たことがあったのです。薔薇は他の木などより強く剪定されますから、そのようなみすぼらしい枝から見事な花が咲いたことで、花への讃美よりそれを咲かせた枝へ不思議を感じたのだと思います。前半1行目の「薔薇ノ木ニ」で行を変えたのは、「木」を強調するためだったのでしょう。
 思えばどんな植物でもそうです。一粒の種から、あるいは冬は何もない土から芽を出し、成長し、花を咲かせる姿は不思議そのものです。特に春の芽出しは本当に嬉しいものです。
 こんな短い詩をン十年かかって解釈した私も驚異的なアホかも知れません。


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☆3.植物はモーツァルトがお好き☆                     ’03.04.07

 人間にとって音楽は、生活から切り離せないもののひとつと言えるだろう。ある時は感情を高揚させたり、ある時は心をリラックスさせてくれたりする。一時期α波音楽というのが流行したことがあったが、今やそれは医療の世界にも応用され、音楽療法なる分野が確立されつつある。また、乳牛に音楽を聴かせたら乳量が増えたという話もある。
 植物と音楽の関係はどうなんだろうか。音楽を植物に聴かせると良く成長するとの話はどこかで聞いたことがあった。あるトマト生産農家はモーツァルトの「アイネクライネナハトムジーク」を聞かせて、トマトの糖度が格段に上がったのだという。しかし、どうもマユツバものだなーとの感じもある。牛までは理解できる。耳があるのだから。だいたい、、トマトはどこで音楽を聴くのだ。葉か?気孔か?
 ところが植物は耳が無くても音楽を聴けるらしい。植物は固有振動数を持っていて、その振動が植物体に当たると共振現象を起こし、道管を通る水が通りやすくなるのだという。その結果、光合成を起こす材料が多量に運ばれ、トマトは糖度を増す結果になったわけだ。成長の促進も同じ原理だ。
 それなら園芸植物にも効果はあるだろう。さて、花達はどんな音楽が好きなのかな?ありましたよ、CDが。

 植物に聴かせたい音楽
 あなたの観葉植物たちにバッハや シューマン、ブラームスで栄養をあげ、ヴィヴァルディ、シューベルト、 ベートーヴェンで世話をし、ハイドン、モーツァルト、ヨハン・シュトラウスで 植物との会話を楽しもう!
 あなたのハーブたちにヴィヴァルディ、 モーツァルト、ヴェルディ、メンデルスゾーンをモーツァルトの 「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」など 全17曲 
 あなたの花たちにヨハン・セバスチャン・ バッハの音楽を聴かせてあげてください。J.S.バッハ「G線上のアリア」など全12曲


 まてよ、何故みんなクラシックなんだ?上の原理から言うと音楽のジャンルに関係はないはずだ。自分も一緒に聞くのだから自分の好きな音楽で良いのじゃないか。さしずめウチはかみさんがオペラ好きなので、オペラか?うーん、近所迷惑この上ないかな〜。世のガーデナーの皆さんは何を聴かせたい? 

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☆4.バラの冬越しと耐寒性☆                          '03.5.18
 今年も冬の寒さから復活出来ないバラが何本か出そうです。もう少し待ってみなければ分かりませんが間違いなく3,4本はありそうです。

 バラは本来寒さに強いものだと、私は思っていました。ましてや深い雪の下は0度くらいで冷蔵庫で言えばチルドのようなものですから、バラの冬眠にはもってこいの環境のはずです。ところが敵は春にいました。旭川の3月は典型的な三寒四温で雪解けと凍結を繰り返しながら春を迎えます。この凍結時にー10度を超える日が何度かあり、場合によってはー15度を超します。冬用のコートを脱ぎかけているのに、強い寒さに襲われるのです。最初の頃はこんなに防寒対策が必要だとが思っていませんでした。

 もう一つの敵は雪の圧力です。春先の雪は雪解けと凍結でしっかり周囲と連結した状態で下がってきますから、そのままにしておくと何トンもの圧力がバラにかかってしまいます。ただ縛っただけではダジャレじゃないけどバラバラにされてしまいます。そこで、周囲の雪とバラの上に載っている雪の連結を切断してやるために、バラの周囲を掘り起こしてやる必要があります。これがかなり大変な作業です。これをやりたくなければ完全なる囲いが必要です。では、どう冬越しすればよいのかというと、私としてはまだ他人様に紹介できるほどの方法を見つけていないのが現状です。

 北海道では、冬前に軽い剪定後バラを掘り起こして寝かせ、土をかぶせるのが最も安全な方法だと言われています。私も何本か寝かせてみたことはあるのですが、せっかく張った根をぶつぶつと切って掘り起こす作業はあまり気持ちの良いものではありません。出来ればやらないで冬を越す方法はないかと試行錯誤してきましたが、今のところ思わしくはありません。また、つるバラにはこの方法が使えません。つるを残したまま堀り上げると木が弱ってしまいます。北海道ではつるバラのつるを残すことはかなり難しいことです。去年、ちざきバラ園でほとんど枝のないつるバラの老木を見ました。旭川より冬の平均気温が5度は高いと思われる札幌圏でもそうなのです。

 最終的には寒さに強いバラを選ぶと言う方法以外にないのかもしれません。耐寒性はバラによってかなり違うようです。ところが、どのバラが耐寒性があり、どのバラがないのかを記述したものは、本はおろかインターネットですら見つかりません。最近は、園芸店でもバラを多く置くようになりました。それ自体はとても嬉しいのですが、地元での耐寒性がチェックされているとはとても思えません。それなら自分でチェックするしかないとは思うのですが、すべてのバラをチェックすることは不可能です。そこでキーになるオールドローズと原種バラを調べればある程度のことは分かるのではないかと思っています。しかしこれも、競馬で親馬を調べてその子が強いかどうか予想するようなもので、優勝か惨敗かはやってみなければわかりません。

 今までの経験から言うとイングリッシュローズ(ER)は耐寒性があると思われます。我が家で凍死したものはありません。弱いのは中国系のバラ(ティーローズ、チャイナローズ)のようです。一番よく売られているハイブリッド・ティー(HT)はティーローズとハイブリッド・ペーパチュアル(HP)を掛け合わせたものです。HPは寒さには強そうですが、相手がティーですからどちらに転ぶか分かりません。フロリバンダ(F)はノイバラが入っていますが、四季咲きのものには必ず中国系が入っています。つるに関しては全く分かりません。小花をたくさん咲かせるランブラー系は強そうですが、HTの枝変わり種やオールドローズのノアゼットは弱そうです。どれも確証がありませんのであてにしないでください。
 


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☆5.野草に触った                               '03.08.25
 このコーナー、定期的に書くつもりだったのですが、他のコンテンツ作りに熱中するあまりすっかりお休み状態になってしまいました。これだけ忙しくなった背景には、私の植物環境への新しい刺激があまりに多すぎたからと言えるかもしれません。そのひとつが野草に触れたことでした。
 それはひょんな事から、我が家から比較的近くにある突硝山にカタクリやエゾエンゴサクを撮影しに行ったことから始まりました。何度も撮影に行くうち、ふと名も知らぬ他の植物にも目がいくようになりました。これは何という花だろう?そのたびに持ち合わせの図鑑とネットで検索するも、花姿だけから名前を割り出すのは楽なことではありません。しかし、次第にその作業に熱中していくようになりました。
 それまでの私は、園芸店で売っているものが花で、それ以外のものはただの草、という認識でしたから、私の植物に関する関心領域が一気に広がってしまったわけです。何故にそうなってしまったかは自分でもよく分からないのですが、今思うに、野草の在るべくしてそこに在るという存在感のようなものに触れたからかもしれません。園芸植物をいかににうまく育てるかばかりとらわれてきた私にとって、それはほとんど対極に相当するものでした。
 もう一つ理由があるとすれば野草の姿のおもしろさでした。雪が融けたばかりの湿った地面からもっこり頭を突きだしていたザゼンソウやフクジュソウ。カタクリやエゾエンゴサクは人気の通りの見事さでした。その後、山を真っ白に覆ったニリンソウとオオバナノエンレイソウにもびっくりしました。山に人影がなくなった頃、落ちた木の枝の陰にこっそり隠れていたフデリンドウのラッパ、クルマバソウの砂糖菓子のような花、かと思えば林の中で威容を誇るオオハナウドやオオウバユリなど時を追いながら変わっていく山の様子も新鮮でした。
 この経験が我が庭に与えるであろう影響は少なからず起こって来るであろうと思います。今まで自分の庭に感じていた不自然さやケバさの理由が何となく分かったような気がします。だからといって我が庭を野草園にするつもりは毛頭ありませんしできるはずもありません。逆に園芸植物の使い方や良さが少し分かってきたかなと思います。できれば野草も少しは取り入れようとは思いますが、それが主体となることはなさそうです。狭い庭で来年もまた挑戦です。
 


クサフジ
突硝山を降りたところにある池の畔で撮影
      6.21



オオウバユリ
突硝山にて   
  7.19


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☆6.詩を書いていた☆                             ’03.10.16
 ちょっと植物と離れます。
 恥ずかしい話なので目をつぶって読んでください(^^;)☆\バキ
 小学校の6年生の頃から詩を書いていました。最初は学校の授業で書かされた詩が先生にほめられたから、という単純な理由からでした。誰にみせるでもなくノートにただ書きつづっていました。中学では先生にノートを見せたり、高校では雑誌に投稿したこともありましたが、それ以降もやはりただ書いているだけでした。なぜかって?言葉が浮かんできたから。かっこよすぎるかな。
 誰かに読んでもらうことを意識していなかったわけではありません。その誰かを見つけられなかったこともありますが、自分の日記を人に見せるようで気恥ずかしかったのかもしれません。これは社会人になってもしばらく続いていましたが、あるときぱったりと言葉が浮かばなくなり書くのをやめてしまいました。
 それから20年以上経過して、最近、私の中にまた書いてみたいという気持ちが湧いてきたのです。しかし、実際書き始めるまでが難儀でありました。しかし、こんなところに書いてどうする(^^;

        通り抜けるもの

風が私の前を通り抜けた。
フェンスのつる薔薇がほの白い葉裏を見せ、
次の一瞬、目の前が白んだように思えた。
何事もなかったように私は前を向き自転車をこぎ始めた。
また季節が変わろうとしていたのだ。

7月の光が白い霧の中を通り抜けている。
記憶は風化した石壁の文字のように掠れてへばりついている。
私は無為に過ごしたある時間のことを思い出していた。
私はひたすら街を歩き回り、意味なく言葉をつぶやいていた。
時に埋没し、時を失う日々・・・
そしてある時、私は自らの時間を取り戻すため人混みの中を走り出したのだ。

あれから幾多の喧噪が私の中を通り抜けていった。
私は大きな声で歌い、そして観衆を得た。
次に私は、ひと時の静寂を得るために世界から私の庭を囲った。
私は虫のように地面を這いずり回り、葉に体をこすりつけた。
私の手は土で汚れ、葉は露で私の体を濡らした。
そして、大いなる錯覚を幸せと呼んだ。

今、風が私の皮膚をなでている。
夏が来たのだ。
私が得たものはささやかな自己矛盾だ。
しかし、何事もなかったように私は地を這うのだ。
新たに来るであろう時の意味も忘れて。



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☆7.バラ園に思う☆                               '03.10.17

 今年はずいぶんバラ園巡りをしました。思えば7月の一番よい時期にバラ園を訪れたのは初めてのことでありました。いつもは自分の庭の手入れに忙しくよそを見に行くときには時機を逸していたことが多かったのです。さすがにこの時期のバラ園は素晴らしく大満足で帰ってきましたが、ふと気がついたことがありました。
 それは、どこも同じに見えてそれぞれの特徴があまりわからないということです。バラ園とはそんなものだといえばいえるのかもしれません。HTやFLは10本20本まとめて植え同じ高さでそろえる。CLはフェンス、ポール、アーチ、パーゴラ仕立てにする。修景バラは斜面に、一季咲きのオールドローズは隅っこに少しだけ。一つのスタイルとしては良いと思いますが本当にこのスタイルしかないのでしょうか。
 バラ園ではない他の庭園では、配色のおもしろさ、立体感、奥行きなど、伝わってきて、飽きないものが多いように思われます。さらに、デザインした人の哲学や芸術と言えるものさえ感じるものもあります。どうも私の見たバラ園にはそのすべてが欠けているような気がしてならないのです。まるでバラの品評会。
 私も自分の庭にバラを植え始めた当初は、1本植えにもかかわらず、バラ園のように皆同じ高さで咲かせることに苦心していました。やがて鈍感な私も気づき始めました。もともと皆樹高が違うのだ。それを同じように並べて咲かせようとしているところに無理があるのだと。それならそのように配置を考えればよいわけです。バラ園でも、同種のかため植えなぞやめて(せいぜい3〜5本植え)デザインを考えた植え方にすればよいと思うです。そこで、いくつかスタイルを考えてみました。

 1.バラだけのロングボーダーガーデン
  樹高、樹形、花の大きさなどを考え配置する。花色でグラデーションを作ってみるのもおもしろいかも。背景には木立や緑の生け垣かツル性の原種バラを配する。
 2.秘密の花園ガーデン
  周囲を木立、フェンス、生け垣、レンガ塀などで囲い、外から見えないようにする。入り口から中に入ると香りのバラばかり、あるいは同系色のバラなどで仕立てられた独立ガーデン。
 3.組み合わせガーデン(いい名前が思いつかない)
  バラにはない、大きな葉の植物や、銅葉、黄色葉など葉色の変わった植物と組み合わせて植える。あるいはバラにはないブルーの小花が咲く植物と取り合わせてみるとか。あくまでもバラ主体のイングリッシュ風ガーデン。

 さて、気がつくだけ書いてみましたが、どんなもんでしょうか?
我が庭の場合は、周囲に目障りなものがあまりに多いので、バラには限らずの「秘密の花園ガーデン」にしてみようかなどと考えています。


岩見沢公園バラ園2003.7.13


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☆8.薔薇の名前☆                               '04.2.1

 何年か前に、テレビで「薔薇の名前」と言う映画を見た。内容について予備知識があったわけではない。ひとつはタイトルに惹かれたことと、テレビの番組でおすぎが激賞していたことが見る気になった理由だ。
 映画はショーン・コネリー扮する修道士ウイリアムが見習い修道士アドソをつれて、ある修道院を訪れるところから始まる。そして、その修道院で次々起こる殺人事件に巻き込まれていく。映画はウイリアムが些細なヒントから謎を解いていく形で推移するが、この物語の背景や設定には非常に奥深いものを感じさせるものだった。盲目で事実上この修道院の支配者である元文書館長ホルヘ、笑いを禁じられた修道士たち、死んだ修道士が残した謎のメモ、死者の黒く変色した舌、迷路となっている文書館、禁断の書の存在と、謎は随所にちりばめられている。この物語の中核をなしているのは、ヨハネの黙示録に従って起こる殺人とアリストテレスの「詩学・第二部」という失われてしまったとも書かれてはいなかったともいわれている書物の存在である。このアリストテレスの「詩学・第二部」に関して、ウイリアムと元文書館長が交わす「キリストは笑ったか」の議論が妙に象徴的に描かれる。
 さて、ストーリー解説することが私の目的ではない。私もミステリー好きなので非常におもしろく映画を見終わったのだが、はたとあることに気がついた。映画の中にタイトルにある薔薇に関する事が全く出てこなかったのだ。どこかで見落としてしまったのだろうか。他にも笑うという人間にとって最も自然な表現行為が、なぜ死に値するほどの禁断行為になったのかという疑問も拭えなかった。恐らくはこの時代の宗教的な背景に基づくものであろうと考えることにした。しかし、この「薔薇の名前」という暗示的なタイトルだけは私の脳裏に焼き付くことになった。
 その後、この映画にはイタリアの記号学者ウンベルト・エーコによる同名の小説を原作としていることを知ったが、タイトルの意味を知るためだけに上下巻にわたる分厚い本を読む気にはなれなかった。そして先日、テレビのBSでまたこの映画が放送されることを知り、再度見てみることにした。結果はさらに疑問が深くなっただけだった。言葉の端はおろか映像のひとこまにすら薔薇は登場しなかったのだ。
 我慢できなくなってネット検索することにした。そして、一件だけタイトルについての記述を見つけることができた。

それによると、エーコ自身がインタビューに対してこう答えている。「『薔薇の名前』というのは中世ではしばしば使われた表現で、言葉の限りない力を意味するのです」

なになに、いったいどういうことなのだ?つまりこういうことらしい。中世の唯名論者たちが「薔薇の名前を言っただけで薔薇はそこに存在している」と論じた事に発している。唯名論とは、一般者の概念(人間)がひとつひとつの物事を認識するときに、その間に現れる普遍性を論じたものらしい。その普遍性とはことばであるとの論である。おそらくこんな簡単なものではないはずだが、それにしてもこの映画とどういう関係があるのか?なぞり合わせてみるならば、映画そのものは虚構だが中に描かれているひとつひとつの物事の中にこそ真実がある、との記号学者エーコの謎掛けであろうか?これ以上の追求は不可能と思われるのでやめにすることにする。
 しかし、ここまできたのでもう一つの疑問、元文書館長ホルヘがなぜ笑いを禁じたのかについて、私見を書くことにしよう。彼は日常最も自然な行為である笑いを禁じることによって、自分を支配者として意識させ続けることを考えていたのではないだろうか。そのため笑いの必要性を書いた本は禁書としたわけである。その姿は原理主義者を思わせる。現実世界での原理主義者、ポルポトやタリバン、オウムに至るまで彼らは宗教の名を借りた支配者であり、その手法は民衆の日常的なある自由を奪うことで共通している。これもエーコが意識して読者と物事の間に存在させたことば、「薔薇の名前」なのだろうか。
 結局、私が単に「薔薇」という名前だけに惹かれて映画を見たという事実は何だったのか、これも唯名論的に解釈せよというなら、もうごめんこうむりたい。充分肩すかしは食らっているのだから。


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☆9.デジカメ選び☆    @一眼か一眼モドキか                   '04.5.4

 私は去年まで銀塩一眼レフカメラ&リバーサルフィルムで花の撮影をしていました。年々、撮影枚数は増える一方で、去年はついに36枚撮りフィルムを70本撮影するに至りました。まとめ買いをすればお得とはいえ、フィルム代は1本あたり800円くらいでそれに現像代も800円、合わせると1600円かかることになります。それを70本撮影したのだから、計算するのもいやになってきます。もう一つ不便なことは、現像の仕上がりからフィルムスキャナーでの読みとりまで、時間と手間がかなりかかることです。すぐ使いたい画像があったとしてもフィルムを撮りきらないと現像には出せません。これなら1年分のフィルム代でいいデジカメが買えるなーと思うのは、ごく自然な流れであろうと思うのです。

 実を言うとデジカメはすでに1台持っていました。2年前、すぐ画像が使いたい時にとコンパクトデジカメを買ったのです。最初はこりゃ便利だ、パソコンに直結で画像を取り込むことはできるし、いらない画像を削除することもできる。しかし問題はすぐに発生しました。@赤から青にかけての色が忠実に再現できない、A彩度が高い色で色飛びが起きる、Bエッジが立ちすぎてソフト感が出ない、Cマクロ撮影で背景がボケ切らない、Dオートフォーカスしかないのに小さなものにピントが合わせられない、等々。景色やスナップには十分だけど、花のアップ撮影には使えないなーと思ったわけです。それ以降、メインの花の撮影に使われることはありませんでした。

 あれから2年、デジカメも相当進歩しているに違いないことはいろんなホームページを見てわかってはいました。そして、今年の2月頃、デジカメを買うことを決意しました。買うに当たってどんなカメラが欲しいのか自分のニーズについて考えてみました。まず、@画質が今までのリバーサルフィルムに匹敵するものであること、A焦点機構や露出機構にマニュアル撮影ができること、Bマクロ撮影機能が充実していること、Cローアングル撮影時などに液晶の角度が変えられるもの、Dできれば手ブレ防止機構のあるもの、あるいは高感度撮影ができるもの、E光学ズームが4倍以上であること、F400万画素以上であること。途中から加わった条件もありますが、まあ欲張ったもんです。

 最初は600万画素クラスの一眼レフデジカメを考えていました。私の銀塩カメラがキャノンですからそのレンズを生かすにはキャノンしかありません。まずはカタログをじっくりみて、次にカメラ屋さんでEOS10−Dを見せてもらいました。手に持った瞬間ズシリ、エーッ、こんなに重いのー! じゃあ、EOSkissDigitalをば出してください。おお、こっちはかなり軽いぞ、まずスイッチオンと・・・あれ、液晶はどうやったらつくの?店員曰く「液晶は撮影時つきません、液晶は撮影したものを見るだけです。どの一眼デジカメもそうですよ」 なにー、じゃあ使い方はフィルムの一眼レフと同じということ?ローアングルはどうなるのー?

 画像が気に入っていただけにショックは大きかった。それで、2月頃から出始めた800万画素の一眼レフもどきを見てみることにした。レンズ交換はできないけれど大口径のレンズでどれも液晶可動型です。カタログで知ってはいたものの各社競って出してきただけのことはあります。機能満載、特に気に入ったのは光学7〜8倍のズーム、マクロ機能はカタログだけではわかりにくいので直にやってみるしかありません。テレ側、つまり90mm、100mmズームの状態でどれだけ近寄れるかが問題です。マクロ機能にはそれぞれかなりの違いがありました。総合的にはどれも甲乙つけがたいのですが、最終的にNikon COOLPIX8700、KONIKAMINOLTA DiMAGE A2、Canon PowerShotPro1に絞られました。特にDiMAGE A2は手ブレ防止がありテレ端ワイド端でマクロが使えることが魅力的でした。

 問題は画像です。カメラ屋では本物の花を撮影できなかったこともあり、ネットでサンプル画像を探してみることにしました。メーカーのサンプルは人物と風景ばかりで、あまり参考になりません。そこで、デジカメのレビュー記事やマニアのサイトを渡り歩きました。COOLPIXの画像はなかなかです。しかし、DiMAGE、PowerShotの画像はわずかしか見つかりません。毎日、写真探しや評価記事を長時間探し続けているうちに、吐き気をもようしてくる始末。ところが、最後に重大な事をあるサイトで発見。それは、各カメラをそれぞれのISO感度で撮影したときの画像を比較したものでした。それによると、800万画素一眼モドキの基本感度は50で、最高感度は400〜800。どのカメラも400になると粒状性が出てざらざら写真でした。比較で出ていたEOS 10DはISO400でもモドキの50並の画質でした。直感的にこれはCCDのサイズによるものだと気づきました。これじゃあモドキは暗いところでの短時間撮影は無理だなとわかりました。
 かくして、ローアングルも多彩な機能も捨て、手ブレ防止も捨て、画質一本に絞ってEOSKissDigitalを購入したのでありました。結局はふりだしに戻った感じではありますが、その間に勉強した事は無駄にならなかったと思っています。先日、カタクリやエゾエンゴサクの撮影に行っていましたが、カタクリ君の顔を見るには例年のごとく完全に寝転がってファインダーを覗くというスタイルで撮ってきました。画質には満足しています。 


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☆10.デジカメ選び☆    A画質の決め手はなに?                    '04.5.4

 デジカメを選ぶに当たっていろいろ勉強した成果を書いてみようと思います。当然、私はこういったことの専門家ではありませんから生かじりだということも承知の上で読んで下さい。デジカメ選び@で画質はCCDの大きさで決まるようなことを書いてしまいましたが、これは画質を決める上での重要な要素の一つだということです。

解像度
 デジカメの解像度を言うとき、300万とか500万画素などの画素数がそれに当たります。CCDに投影された映像を何分割したデータとするかがデジカメの解像度ということになります。分割数が多いほど解像度は高いわけで、より細かいデータとなるわけです。しかし、それを何に出力するかでその意味は大きく変わります。

1.CRTに表示する場合
  CRT自体にも解像度があります。800×600とか1024×768とかいうものです。デジカメで撮った画像をそのまま表示するとどうなるのでしょう。800×600は480000ですから48万画素、1024×768は786432ですから約78万画素ですから、デジカメの画像を表示しきれる画面ではありません。一般にフォトレタッチソフトなどでは縮小表示されますが、これは都合上データを間引いて表示しているだけです。実際にホームページやメールで画像を送るときは、誰もが画像データを縮小して扱っていると思います。縮小すると画像がボケることは誰もが経験していると思いますが、これは画素が間引かれることによる画像の乱れが原因だと思われます。つまり、CRTから見ればデジカメの高い解像度にはあまり大きな意味はなさそうです。かえって、画像を扱いにくくしているだけかもしれません。

2.プリンターに出力する場合
   プリンターの解像度はdpiという単位が使われています。これはdot/per/inchのことで、1インチの間にいくつの点が打てるか、という密度を表しています。このドットを1画素にあてはめると、A4サイズの用紙いっぱいに2400×1200dpiの解像度で点を打つといくつ打てるのでしょうか。
 A4は 21.0×29.7cm=8.268×11.69インチですから
 2400×1200dpiでは19843.2×14028dot=278360409.6dot=2億7836万dotとなります。
ここで、初めてデジカメの画素数の多さが生きてくることになります。

CCDサイズ
 私が最初に悩んだのはCCDの大きさを表す1/2.5、1/1.8、2/3等の表示です。いったいこれはどういう単位なんだ?しかし、どこにも書いていない。それに対角の長さを表すものなのか縦横の長さを表すものなのだろうか?
 実は、2/3とか1/1.8とか表示されるCCDサイズの単位はインチなのですが、これは昔のビデオなどの撮像管の管径を踏襲した表記で、実際に1/1.8インチCCDの対角寸法が1/1.8インチという訳ではないのです。その撮像管には、2/3インチ、1/3インチなどのサイズ(管の直径)があり、その各サイズの撮像管の作るイメージサイズが現在もなお基準になっているのです。つまり、2/3インチCCDというのは「2/3インチのサイズのCCD」という意味ではなく、「2/3インチの撮像管が作るイメージサイズと同じイメージサイズを持つCCD」という意味なのです。これを実際のCCDのサイズに換算してみるとこうなります。
 2/3インチCCD: 8.8(W)×6.6mm(H)
 1/2インチCCD: 6.4(W)×4.8mm(H)
 1/3インチCCD: 4.8(W)×3.6mm(H)

画素の面積
一般にデジカメのCCDサイズに対して画素数はおおよそ決まっているようで、
 2/3  800万画素      最低感度ISO 50
 1/1.8 400〜500万画素        ISO 50
 1/2.5 300万画素          ISO 50

ちなみに一眼デジカメは最初から寸法表示がなされていて
EOSkissDigital 22.7×15.1mm  630万画素   最低感度 ISO 100
EOS1Ds     35.8×23.8mm 1110万画素        ISO 100


 私は1画素あたりの面積がそのCCDの感度や情報量を左右するのではないかと思ったわけです。つまり、1画素の面積が多いほど短時間にたくさんの光は受けられ、バラツキのない良い画質になるはずだと。最もCCDが受け取った情報はそのまま画像になるわけではなく、補正が加えられて現実に近い画像となるわけですが、この補正技術も画質を決める大きな要素のひとつではあろうと思います。しかし、少ない情報量をどんなに補正しても限界はあろうと思います。それは色合いの深みのなさや、彩度や濃度が高いときのつぶれ等に現れてきます。またCCDの感度を上げていったときにも粒状性(ノイズ)となって如実に現れます。
 それでは、実際に使われているCCD1画素あたりの面積を求めてみたいと思います。

2/3インチCCD: 8.8×6.6mm:800万画素  =0.00000726(平方ミリメートル)
1/2インチCCD: 6.4×4.8mm:400万画素  =0.00000768
1/2インチCCD: 6.4×4.8mm:300万画素  =0.00001024(参考)
EOSkissDigital:22.7×15.1mm:630万画素 =0.00005440
EOS1Ds   :35.8×23.8mm:1110万画素 =0.00007676

 これを見れば一目瞭然です。2/3インチ、800万画素は高級機EOS1Dsに迫る画素数ですが、1画素あたりの面積は10分の1ということがわかります。画素数が多ければよいという風潮を作り出したのはメーカーです。画素数の多さはCRTに表示するに限って言えばあまり意味のないことです。プリンターにしても300万画素あれば十分美しい画像を全面にプリントすることができます。1画素を小さくしてまで画素数の多さで高級感を煽っているとしか思えません。私も危うくその戦略に乗ってしまうところでした。まあ、いずれ化けの皮がはがれてくるのではないかと私は思っています。


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   ☆11.野に草                               ’04.10.13

 前々から「ひとりごと」のタイトルを変えたいと思っていました。イメージとしては気負わす衒わず、気ままな感じの言葉はないものかと、ことわざ辞典を探してみたり、四文字熟語を探してみたりしましたが、どうもぴったりの言葉が出てきません。まあいいやと放ったまま時が過ぎてしまいました。

 先日からトップページを少し整理しよう思い、またそのことを思い出してしまいました。そこで、またもや本棚を検索していたところ、若いときに読んだ「谷川俊太郎詩集」に目が行きました。パラパラとめくっていくうちにすっかり昔の感覚にもどって読みふけってしまいました。「二十億光年の孤独」「六十二のソネット」「愛について」「絵本」等々。

 私が谷川俊太郎の詩と出会ったのは高校一年生の頃に読んだ、角川文庫「現代詩人全集 現代U」が最初でした。目次を見ると、谷川と同じく当時はまっていた寺山修司らと共に名前の上に○印がつけてあります。載っているのはそれぞれ数編ずつながら、これまで読んできた詩と全く違っていました。その詩には自分が日ごろから持っていた不思議で何かわからない気分と何か重なるものを感じたのです。その後、高校の修学旅行で東京に立ち寄ったとき、最後の半日の自由時間を神田神保町の本屋街を歩き回りこの「谷川俊太郎詩集」を手に入れたのでした。

 話はそれますが、HPのコンテンツの目次にある「書を持て、野へ出よう」は寺山の「書を捨てよ、町へ出よう」の逆さだと気づいた方はおられるでしょうか。私もまた寺山の本にそそのかされて東京へ飛び出したアホの一人でありました。谷川と寺山、この両者は一見進んだ方向は違うように見えますが、共にアウトローな存在で、当時の詩人としては常識をつぎつぎうち破っていったところは共通していました。まあ、当時の多感な若者が陥るには十分な罠を多く持ち合わせていたということでしょうか。

 さて、若い頃のごたくを並べてもしょうがないので、話を元に戻します。谷川俊太郎の詩集を読み進むうち、ひとつの詩が目に止まりました。ここで、詩の全文を入れたいところなのですが、やはり著作権の問題が生じていまいますので、最初と最後だけ引用します。

 「六十二のソネット」
 14.野にて

 私の心が私を去らせた
 時を見る高さにまで
 私は回想され
 神の恣意は覗き見された

 歌もなく 意思ももたず
 今日私は帰りたがる小学生に似ていた
 しかし誰が何を償うことが出来るか
 むしろこのような晴れた昼に

 人は正しく歌えない
 無を語る言葉はなく
 すべてを語る言葉もない

 しかし私の立つところにすべてがある
 街に人 野に草 そして
 天に無


 当時、私がなぜ谷川に惹かれたのかが手に取るように分かります。理由の分からない虚無感やいらだち、「自分」が存在していることのかなしさがぴったりとシンクロして響いてきます。そしてなぜかしら共感を覚えるのが、かなしいまでにまっすぐに何かを見ている谷川の視線です。「野に草」、どうって事ない言葉だけれど、「そのまま在る」という意味では私の求めているイメージに最も近い言葉かもしれません。


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   ☆12.青のイメージ                               ’05.03.21

 NHKスペシャルの「地球大進化 46億年・人類への旅」の再放送を最近見た。その中で注目すべき事が出てきた。人類が色を見分ける能力を身につけたことが、その後の進化に大きな影響を与えたという。へえ〜、それは初耳だ。それによると、人間は色を見分ける能力を身につけてから、感性とか感情とかいうものが急速に発達したというのだ。つまり、より人間らしい方向に近づいたということだ。なるほど、それで人間は色に対して何らかの感情を抱くことができるということなのか?いやいや、そうではない。原点はその対象となったものへの感情に違いない。火は赤く、葉は緑、土は赤茶けていたり黒っぽかったり、曇りの日の空は白く、そして晴れの日の空は青い。さらに、怪我をしたとき赤い血が流れ、顔は青ざめる。様々な事柄が色と結びついてイメージが固まっていったのだ。
 その中でも「青」は人間にとってかなり特殊な色だと私は思う。他の色が暖かさや心地よさを与えてくれるのに対して、青は不安や寂しさ、かなしさなど最も「負」をイメージさせる色だからだ。物理的には「青」は「赤」と両極を成している。人間が目に見える光、つまり可視光線で最も波長の長いところに位置しているのが「赤」であり、最も波長が短いところに位置しているのが「青」である。自然の中にある「赤」、たとえば「夕日」や、「炎」は赤と共に目に見えない赤外線や熱線を多く含み実際暖かいのだ。それに対して青い光は全く熱を含まない「冷たい光」と言っていいだろう。ある意味、人間はこの色をバランスよく使うことによって生活の心の部分をうまくコントロールしているのだ。

                        
      
                        

 白鳥(しらとり)はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ (若山牧水)

 真っ青に晴れた海。その中に小さな陰のように白鳥が飛んでいる。圧倒的な青。消え入りそうな白。この「かなしさ」を演出しているのが白鳥を青く染めてしまいそうな青なのだ。そう、青はのみこむ。そして、深い。そんな青は私の心の中にもある。その青が、あるとき私を強く支配する。そんなとき、私は泣いているかもしれない。いや、深く沈みこんでいるかもしれない。私は「青」と激しくシンクロし、さらに深く深く沈み込む。そして、突如ぽっかりと空虚な世界に飛び出てくる。もう私は沈んではいないが、そこでは、私と物との距離が測れない。人との距離も測れない。私の足下から座標が消え去ったからだ。

 あの青い空の波の音が聞こえるあたりに
 何かとんでもないおとし物を
 僕はしてきてしまったらしい。

 透明な過去の駅で
 遺失物係の前に立ったら
 僕は余計に悲しくなってしまった
     (谷川俊太郎 かなしみ)


 私の場合、心の中の青が時折、目にする青とシンクロする。他の色ではこんな事は起きないのに、なぜだろうと考えてみるが、明確な答えを見つけることはできない。ただ言えることは、青という色にだけ「向こうがある」と思ってしまうのだ。青の向こうには何があるのか。果てしない宇宙の広がりか、はたまた暗い海底の深海魚の淡い光?


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   ☆13.青い花の不思議                               ’05.03.24

 子供の頃、20分も30分も真っ青に澄んだ青空を見つめていたことがあった。大人になってしまった今、長い時間青空を見つめるなんて事はしなくなった。あの時、なぜそんなに空を見続けることができたのだろう。今にして思うことは青い空には得も言われぬ不思議
があった。草原に寝ころんで空を眺めていると、ふいと身体が浮き上がるような感覚にとらわれる。空はぐいと私に近寄り、なぜか幸せな気分になるのだ。
 私は青空を見なくなった。しかし今、私は青い花を見ている。私は花の中に空を見つけようとしているのだろうか。花を見て私は浮遊するだろうか。青はまたもや私に不思議を投げかける。

                            メコノプシス

                         ☆
 ガーデニングをする人で青い花にこだわる人は多いようである。テレビのガーデニング番組で青花ばかり植えているひとがいた。青にもいろんなトーンがあってそれを組み合わせて庭を作るのだ。ポイントはその中に白い花を織り交ぜることだそうだ。ははん、これは空を意識してるなと、そのとき直感的に思ったものだ。青花へのこだわりもいろいろあるのかもしれない。私は他のいろんな花色の中に青を加える方が好きだ。青は決して他の色をじゃましないし、むしろ全体を引き締める働きをしてくれる。
 しかし、私のこだわりはそんなところにはない。花そのものの青に惹かれる気持ちの方が強いようだ。
ツユクサの青、トリカブトの青、デルフィニウムの青、アジサイの青、エゾエンゴサクの青、アサガオの青。ワスレナグサの青etc。よく見てみると完全な青は意外と少ないことがわかる。青と言っても水色から藍色のような深い色まで濃度は違うにしても、他の色、特に赤系が混じらない青の花は極めて少ないと言わざるを得ない。これには、青い色の発色の仕組みによる問題が深く関わっている。

エゾエンゴザク

                         ☆
 青い花の色素について研究した人がいた。その人の名は植物生理学者、柴田桂太。当時世界では、赤い花と青い花の色素がアントシアニンという同一の色素から発色していることは知られていた。その花色は細胞液のpHによって変化しているとの説が信じられており、赤い花の細胞液は酸性、青い花の細胞液はアルカリ性であるとされていた。柴田は植物の細胞液がアルカリ性になるという説に疑問を持ち、色素を持つ細胞液のpHをくまなく調べたところ、すべてが弱酸性であることを突き止めた。さらに、フラボンを還元して得たアントシアニンが金属と反応すると青色になることを確かめ、青い花はアントシアニンの金属錯体によるものだとする金属錯体説を提唱した。1910年頃の話である。しかし、当時の日本の科学レベルが低かったこともあり、その説は世界から完全に無視されてしまった。
 その後、青い色素の研究は柴田の弟子達によって進められた。そして1990年、ついに錯体中心の金属はやはりマグネシウムであることを見つけ、アントシアニンとフラボンが6分子ずつ、マグネシウムイオンが2原子含まれることが明らかにした。また、高エネルギーX線解析によりその構造も明らかとなった。柴田の説から実に80年後のことである。1980年から10年間で使われたツユクサは数百sにも及ぶという。
 花色の研究は日本が創造し発展させたものだ。しかも、その大半は青色に費やされたと言ってもいいだろう。           

ツユクサ
現在、アジサイの花色の変化はアルミニウムイオンが関わっていることが分かっているが、その構造はまだ明らかとなっていない。酸性土で花が青くなるのは、アルミニウムがイオンとして溶け出しやすくなるからだそうだ。ヤグルマギクの青には鉄とマグネシウムイオンが錯体を作るっているということである。同じ青色でも花によってその構造が違っているのだ。
                         ☆
 ツユクサの青を毎日見続けた植物学者達は、青色にどんな夢を見続けてきたのだろう。ツユクサに何を話しかけてきたのだろう。ある時はそれが原子や分子の構造物だけに見えたかもしれない。ある時はいらだちの対象だったかもしれない。彼らが研究を成功させた後に、野に咲くツユクサを見て何を思ったかを考えると、私はちょっと胸を熱くするのだ。
 青い花を見るとき人は無意識にその思考を止める。何かを忘れるため?そうかもしれない。心を平安にするため?そうかもしれない。でも、本当は理由などないのだ。私が青い花に心を奪われるとき、その花は私の心の中の青を写しているのだ。
                


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