野菜が作りたい
 若いときから土地、家を持ったら野菜を作ろうと思っていました。私の母がそうしていたように、私もそうするのが当たり前だと思っていました。
 1988年、中古ながら念願の土地と家を手に入れました。早速畑にスコップを入れたところ、ガチッ!スコップが入りません。家を見に来たとき、この荒れ放題の庭を見てある程度は想像していましたが、掘り返してみると20〜30cmの火山礫がゴロゴロ、おまけに有機質のかけらの感じられません。畑の周囲はあっという間に火山礫の山が出来てしまいました。その後は、土との格闘、試行錯誤の連続で、まともに野菜が採れるようになるまでに3年ほどかかりました。まあ、どれだけの堆肥を入れたでしょうか。作った野菜は、大根、白菜、キャベツ、トマト、胡瓜、茄子、インゲン、枝豆、ほうれん草、レタス、サラダ菜、イチゴetc。
 一通り出来るようになると、新しい野菜への挑戦意欲がむくむくと湧き起こってくるのでした。しかし、妻はいたって冷静で「高い野菜ね!」と冷ややかな言葉。それもそのはず、土作りにつぎ込んだ費用はかなりになっていました。(土を入れ替えた方が安かったかも) それに追い打ちをかけるように、我が家の収穫時期になるとスーパーの野菜たちは突然値を下げるのです。さらに、それを食べてくれる家族も一人減り二人減り、ついには妻と私だけになってしまいました。
最後の菜園 1998年春
最後のトマト な、何じゃこりゃ!
 バラが咲いた
 世間の例にもれず、わが菜園もその周囲に花ぐらいは植えていました。
 ある日、妻が一本のバラを買ってきて、これを植えろといいます。ハイハイ。そのうちにもう1本、また1本と増え、ついにバラは5本になりました。さほどの手入れをしなくてもバラはそれなりに咲いていましたが、ある1本のバラがいつもつぼみのままで終わったいることに気がつきました。次の年、多少手をかけてみましたが、やはりつぼみのまま。
 そんな時、妻が「ちざきバラ園」を見に行こうというのです。家族サービスのつもりで行ったバラ園で、私は息を飲みました。バラはこんなふうに咲くのか!その時、私の頭に我が家の咲かないバラのことが浮かんだことは言うまでもありません。帰りに私は、バラ園の売店で一冊の本を買って帰りました。
 次の年、そのバラはそれはそれは見事に咲きました。私はそのバラの花びらを風呂に、お湯が見えなくなるくらいばら撒き入りました。脳が痺れるような香り、立ち上がると真っ赤な花びらが体中にくっついてきました。
よーし、庭をバラ園にしよう!
庭をバラで埋め尽くしてやる!
1998年5月 チューリップが咲きバラが新芽を出す
6月末 見事に咲いたバラ
 バラ園を造るぞ! 準備編 1998
  楽天的でいつも行動が遅いといわれている私としては、決意から行動までの早さはひょっとしたら史上最速だったかもしれません。
 家脇の砂利通路だったところを掘り起こして篩にかけて花壇をつくり、ひとつの野菜が終わると来年用に買ったバラや植物を植え込んでいきました。全くその気になっている証拠に、写真ではわかりにくいのですがツルインゲンがアーチ仕立てになっています。(アホか!)
 おおよその構想は立てていたので、花壇以外の部分を年内にやり終えておこうと汗だくで作業をしていました。この年の夏は北海道にあるまじき暑い夏だったのです。
 
1998年8月
 
 砂利の通路だったところに、何と花壇とガーデンテーブルが出現!
 まあよくあるパターンながら、私としては、夏にここで飲むビールの味は格別です。
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